令和2年2月22日(土)
広島県情報プラザで「令和元年度広島県情緒障害教育研究大会」が開かれました。
お呼びいただき、実践発表に対するコメントと、講演をいたしました。
実践報告はとても示唆に富んだないようでした。
それに対して、以下のようなお話をいたしました。
現在の学校での評価は、紙に鉛筆で書くことや、紙にインクで印刷された文字を読むことといったように、特定のツールに依拠したスキルを身につけないと、先へは進めない構造になっている。まさに、バリアになっている。この、特定のツールに依拠したスキルが生み出すバリアは、「スキルバリア」ともいえるだろう。
このスキルバリアが、教科の本質の評価を歪め、さらには学習性無力感ともいえる状況を生み出すことを目にすることがある。
スキルバリアを取っ払った、教科の本質を評価する方法を考えることが重要ではないか。
また、例えば、社会などで、原語が重要だから、漢字で書けないといけないといった主張があるが、もし原語が大切というのであれば、ザビエルはスペイン語で書かれなければならないし、ブッダはサンスクリットで書かれなければならないはず。要は、この原語主義についても、平均的な人たちが都合よく定めた慣習ではないだろうか。ザビエルをスペイン語で書かずに、平均的な人にとって都合の良いカタカナをよしとするならば、中臣鎌足を「なかとみのかまたり」と書くことを否定できるのであろうか?
さらに、漢字の読み書きにの評価についても、本人にとっての読み書きで評価することが適当ではないかとも思われる。
1 件のコメント:
「もし原語が大切というのであれば、ザビエルはスペイン語で書かれなければならないし、ブッダはサンスクリットで書かれなければならないはず。」は非常に説得力がありました。
正しい漢字を手書きで書けることを求めすぎない学校文化を作っていきたいです。
社会に出てしまえば、鉛筆で紙に書くことを求められる機会はずっと減ります。自分に合った表出方法を選択して使いこなせるようになることが大切だと思います。
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